2017年10月29日日曜日

【記事紹介】性同一性障害の人の中に吃音者がいること報道される

朝日新聞からの報道です。
性別上の戸籍を女性に変更したという話です。
しかしよくよく読んでみると、内容が複雑です。
筆者はセクシャルマイノリティで発達障害のある人と交友はありますが。このようなケースがあることはわかりませんでした。

想像ですが。吃音の悩みがあった。2006年当時は発達障害者支援法はまだ生まれたばかり。吃音業界は派閥抗争を繰り広げており、日本発達障害ネットワーク(JDDネット)に旧言葉を育くむ親の会が所属していたが、積極的に吃音が発達障害者支援法に含まれていると周知をしていなかった時代です。もしも2006年当時に吃音が発達障害者支援法に含まれている。障害者手帳も性同一性障害ではなく、吃音を主たる障害、従たる障害をうつ?適応障害で申請すれば精神障害者保健福祉手帳を取得できたのかな?と考えてしまいます。

いずれにせよこのニュースの人も吃音業界の派閥抗争の被害者なのかもしれません…。2005年から発達障害者支援法に「吃音」が含まれている。
これが吃音業界がしっかり認識して、権利擁護をしていれば自死する人も、ひきこもりになる人も、未来が変化していたかもしれません。吃音のことを新入社員研修で指摘されて生贄になる必要がなかったかもしれません。

――性転換をしたあとに後悔したという、事例が紹介される動画です
トランスジェンダー映画『悔やむ人たち』監督×中村美亜さんトーク





 朝日新聞から一部引用。全文はリンク先から。
 自分は性同一性障害だと考えて戸籍上の性別を変えたが、やはり適合できず元に戻したくなった――。性別変更をする人が増えるにつれ、こんな悩みを抱える人が出てきた。再変更は現在の法律では想定されておらず、ハードルは高い。専門家からは「何らかの救済策が必要」との声も出ている。
 神奈川県茅ケ崎市の40代元男性は2006年、戸籍上の性別を女性に変えた。それをいま、強く後悔している。家裁に再変更の申し立てを繰り返すが、「訴えを認める理由がない」と退けられ続けている。
 幼い頃から吃音(きつおん)に悩んでいた。疎外感を抱いていた00年ごろ、性同一性障害の人たちと交流する機会があった。「自分たちの存在を認めないのはおかしい」と訴える姿がとてもポジティブに映った。「自分も同じ(性同一性障害)だ」と考えるようになり、03年にタイで男性器切除の手術を受けた。
 04年に一定の条件を満たせば性別変更が認められる特例法が施行されたため、心療内科を受診。十数回の診察を経て、複数の医師から性同一性障害の診断を受けた。横浜家裁に性別変更を申し立て、06年7月に変更が認められた。
 だが、すぐに後悔に襲われた。男性だった時には簡単に見つかった仕事が、女性になってからは断られ続け、性別を変えたためだと感じるようになった。弁護士に再度の性別変更を相談したが、「今の制度では難しい」と言われたという。
 ログイン前の続き現在は両親と離れて一人で暮らす。7月にようやくパン工場での仕事を見つけた。女性として就職したが、会社の理解を得て現在は男性として働く。「精神的に不安定な状態で申し立ててしまった。このまま生きるのは非常に苦痛で何とか元の性に戻りたい」と話す。
 11年に戸籍上の性別を変更した別の一人も、関西地方の家裁に今年6月、変更の取り消しを求める手続きを申し立てた。自身の判断でホルモン投与や性別適合手術を受け、戸籍の性別まで変えたが、現在は「生活の混乱の中で思い込み、突き進んでしまった」と悔やんでいるという。
 代理人を務める南和行弁護士(大阪弁護士会)は「戸籍の性別によって生活が決まる場面は多い。本人が限界だと感じているのであれば、自己責任と切って捨てるのは酷だ。取り消しを予定していなかった法の不備を、司法が救済すべきだ」と話す。
http://digital.asahi.com/articles/ASKBY5GNNKBYUTIL013.html?_requesturl=articles%2FASKBY5GNNKBYUTIL013.html&rm=589

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